馬場信春
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史実紹介

武田3代に仕えた40数年の間、70回を越える戦闘に参加した武田四天王の一人。長篠の戦いまでかすり傷一つ負わなかったという。 このため、現代において『不死身の馬場美濃』『不死身の鬼美濃』と評されている。 江尻城、諏訪原城、田中城、小山城など各地の武田方の支城を建設した築城の名手でもあった。『甲陽軍鑑』には山本勘助から築城術を教授されたとある。 『智勇常に諸将に冠たり』と『甲斐国志』に記され、一国の太守になれる器量人であると評されている。 山県昌景と共に武田家の重鎮として語られることが多いが、竜朱印状の奏者であり軍政の中枢にいたことが確認されている山県とは対照的に、信春の発行した竜朱印状は確認されておらず、実際の信春の武田の軍政におけるその地位は不明である。